久々のブログ。去年の7月にLAに越してきてから、早いもので丁度一年経った。新しい職場環境でやらなくちゃ行けないことがたくさんあるのと、M&Aマーケットが回復している事が重なり、この一年はまさに仕事に忙殺されてきた。
引越して3ヶ月後には、上司の自殺という悲しい経験をした。この人となら一緒に仕事をしたいと思い、LAに異動してきた部分もあったので、非常にショックだった。
出張が多く、夜も遅く、たまに早く帰ってきても家で電話会議ばかりしている父親だが、そんな中でも、妻のおかげで、子供たちは成長している。4歳になった希帆は、相変わらず自閉症で言葉がでない。セラピストや学校関係者には幸いにも良い人達に恵まれ、表現能力は確実に付いてきているが、三歩進んで二歩下がるようなスローな前進(というよりは六歩進んで五歩下がると行った感じか)。
2歳なった櫂は、超社交家で、起きている時間は常に歌や話を続けており、道ですれ違う人には一人ずつ「ハロー!、バイバイ!」と必ず声をかけ、すべての犬に向かって必ず「わんわん!!」と叫び、公園にいる知らない子どもの輪に必ず入っていって行き、小さい女の子の気を引くために「ハロー」「カムヒアー」「Look at this」の後は(英語の語彙が少ないため)「がおー!」とか奇声を発す、というような子供になっていっている。日本人向けの幼稚園に週三回行っているが、クラスの中心人物のようである。おとなしい姉と、ロックバンドのようにうるさい弟の組み合わせ。妻には本当に感謝である。
週末はなるべく仕事をせずに、子供とジョギングをしたり、公園にいったり、家族で外食等をするようにいる。旅行とか、キャンプとかはまだ難しいが、なんてことのない時間の過ごし方でも、西海岸の太陽と、目の前にある海と、周りにいるおおらかな人たちのおかげで、贅沢な時間に感じるから幸せである。
LAに来て早いもので一ヶ月がたった。ビーチから1ブロック、約50メートルのところにすんでいるので、朝散歩やジョギングをしたりするのが楽しい。僕らの新しいhome townはLAの南西にあるRedondo Beachというところ。車通勤をしているが、帰りはわざわざビーチ沿いの道をゆっくり走って帰る日もある。シドニー時代にもBondi Beachのそばに住んでいたことがあったが、本当に海をみると本当に心がやすまる。英語でいうと、Chill outされる。
近所に住んでいる会社の同僚Mattはシーカヤックをやるらしい。といっても別に激しいものではなく、朝浜から少しはなれたところをのんびりこぐだけとのこと。本当にChill outされるとらしい。イルカもよくそばによってくるらしい。Mattからイルカ情報を聞いた翌日、朝子供を連れてジョギングしていると、いたいた本当にイルカが泳いでいる。4匹くらいのんびりと水と戯れている感じ。我が家から数分のところで、こんな光景があるとは信じられなかった。今までそんなに注意して海を見ていなかったから気がつかなかった。翌日また妻を連れて行ったら、やっぱり同じところにイルカがいた。
仕事とか、人生とか、どうしようとか、いろいろなこと考えるけど、やっぱりLAに来てよかったかなと思っている。イルカが毎日みられるなんて。誤解がないように念のため言っておくと、LAにきてからのこの一ヶ月はものすごく忙しかった(そして今も)。プロジェクトが5つ位同時進行している。こんな忙しさはリーマンショック前の2008年前半以来。でも新しいところに来ていきなり暇でいるよりは良いので、少し安心。そんな、息つく暇ないくらい多忙な毎日でも、海があるからやっていけているのである。あともちろん家族のおかげで。
LAに引っ越しました。同じ会社内での異動。日本の会社風にいうと「社命」とでもいうのだろう。今までこれだけ好きなことをやってきて、仕事もほとんど海外でしてきた自分がまさか「社命」で異動するとは思っても見なかったけど。LAでの生活の様子や、引っ越しまでの経緯等はまた別の機会に書きます。
ともあれLAに来て3週間、ホテル暮らしを経て海沿いのアパートに引っ越してから今日でちょうど一週間。まだ仕事がフルで始まっていないけど、とりあえず今のところは家族みなでLA Lifeを楽しんでいます。海まで徒歩30秒(会社までは車で一時間かかるが)。
先週からは妻のご両親がきてくれて引っ越しの手伝いをしてくれている。キホのSummer schoolも無事はじまった。妻も運転に少しずつなれてきている。こどもたちも環境には適応してくれている。無事やっていますのでご心配なく。
今日はご両親を含め家族全員でAnaheim Angelsの試合を見に行ってきた。マリナーズ戦なのでイチローと松井選手が同時に応援できた。これまで僕の心の支えになってくれている松井選手をついにLAまで来て応援できたのは感激であった。今日は松井選手は珍しく守備で先発。残念ながらヒットはなかった。イチローも無安打。でも二人とも存在感はすごい。松井への声援は、4番のトリー・ハンターの次の大きかったのはうれしかった。でも赤いキャップやTシャツは買わなかった(多分次くらいに買うだろう)。試合は延長10回でマリナーズの勝利。(まだ高速には乗れないため)高速を使わずに一時間以上のろのろ運転してくれた妻には感謝。
娘が3歳になった。感慨深いものがある。ちょうど日本から妹が来ていたので、いつもこどもたちの可愛がってくれる友人のMと一緒に簡単なお祝いをした。
相変わらず言葉は出てこないし、運動神経もどうもあんまりよさそうではないが、音楽とかへの反応はものすごく良いので、妻の勧めで電子ピアノを買ってあげた。はしゃいで喜ぶ娘。でもなぜか、Mからもらったプレゼントの、野菜のおもちゃセットに入っていたニンジンとキュウリをつかって鍵盤を叩く娘。音楽療法をかねてピアノを習わすことにしていて、今週から早速日本人の先生を手配してあるらしい。
話題変わって、クリケットの日本代表の女子チームが、日本で行われているEast Asia Pacificというトーナメントで優勝した。パプアニューギニアとサモアを破っての優勝。ワールドカップに一歩近づいたらしい。チームには日本のクラブでの後輩も何人か入っていて、うれしい限り。応援にいけなかったのが残念。キャプテンのエマと相方のシズカは、僕が日本でクラブの代表をやっていた時に大学一年で入ってきて、目を輝かせながら教えることをどんどん吸収し、女の子なの泥泥になりながらボールに飛びついていて、すごい子達が入ってきたなと思ったの覚えている。
3歳の娘が、将来どんなスポーツや音楽等の趣味・特技をもってくれるかは分からないが、親としては選択肢はたくさんあげたいと思う。自分も子供の時には、釣り、水泳、書道、剣道、体操、野球、ピアノ、ダーツ等々、多くの趣味や習い事をやらせてもらったしそのどれもが楽しかったのを覚えている。今考えるとそれだけ多くのことをやる機会をくれた親には感謝である(塾だけには行かされなかったし)。娘が女子クリケット代表のようにたくましくなってくれるかどうかは分からないし、実際developmental delayがどのくらい続くのもわからないが、3歳の誕生日の今日くらいは、楽観的に、娘の明るい将来を夢見てもよいのではないだろうか。
出張が続き、3週間ぶりにゆっくり週末をNew Yorkの自宅で過ごしている。久しぶりに子供たちともゆっくり遊ぶ。櫂はその間に歩くのがかなり上手になった。
(昨日国内出張でNYに戻ってきた時に飛行機がセントラルパークの上空を飛んでいた。かなり低空飛行なので公園とビルがよくみえて感動)。
東京に10日間ほどいた。かなり忙しかった。丸の内のホテルに泊まり、昼間はクライアント向けのセミナーの講師をやったり、クライアント訪問や、自分の会社の東京事務所を訪ねたり。セミナー講師なんて柄でもないが、東京・大阪・名古屋でやったので移動もあった。夜はクライアントや友人や東京事務所の元同僚たちを飲みに行った。更に、何とかの法則とでもいうのか、出張でNew Yorkを空けた時に限って、アメリカでのプロジェクトが動き出してしまい(しかも火を噴いてしまった)、夜中・早朝はアメリカとのテレコンが毎夜・毎朝入った。東京の朝4時がNYの午後3時であり、そこから電話を何本もこなして、急いでシャワーを浴びて朝の新幹線に飛び乗り、お昼の大阪でのセミナーにぎりぎり間にあうみたいな生活だった。別に自慢しているわけではないが、こういうのも後から読むと懐かしいと思うので書いておくと、今回はアメリカのブラックベリーを日本で使える機種にして持ってきたのだが、電話料金が1500ドルを超えているので、心配した電話会社がなぜかアメリカに残してきた妻に電話してきたらしい。早朝に電話会議をパズルをはめ込むように続けて予定していたため、前のが終わらずそっちは携帯で聞いたまま、ホテルの電話を使ってもう一方のコールを始めるなんていうのもあった。夜友人と飲んでいる時も、アメリカからバンバン電話がかかってきてしまい、銀座のバーで飲みながら途中席を何度も外すという寒い行動もせざるを得なかった。それでも付き合ってくれた友人たちには感謝したい。
(ホテルの部屋からの東京の風景。正面方向は秋葉原で、右側に見えるのは高くて泊まれなかったウエスティンホテル)。
年に数回出張で東京に戻るという生活が始まって数年になるが、時々こうして出張者としてくるには、東京は住みよくて便利な街だなとあらためて思った。街は本当にきれいだし、ホテルやお店のサービスはすばらしいし、電車は時間通り走っている。丸の内みたいなところを拠点にすれば、都内であれば大体のところは20分以内でいける。ホテルを出て5分後には新幹線に乗れたので、名古屋・大阪も苦にならなかった。コンビニはどこにでもあるし、お店は遅くまでやっているし、食べ物はなんでも美味しい。
アメリカに来て7年になり、出張や帰省の時には、いつか本格的に東京に戻ってくる時の生活を考え、そもそも果たしてこの街にまた住めるのだろうか、住むとしたら家族でどういう暮らしにすればよいのだろうかと考えながらものを見るようになっているが、やっぱり東京でビジネスマンをやるのであれば、都内の便利なところに住まないと無理だと思った。それならば、都内の便利なところに住めるような条件を仕事を見つけるか、東京でビジネスマンじゃない生活を選ぶか、どちらかになるのだが、それはやっぱり難しいな、というところでいつも思考回路が止まる。
大阪出張のついでに京都の旧友のところによったら、結局飲みすぎて、友人宅に泊まった。この年になり、家族もちの友人の家に、しかも出張の時に泊まるなどとは夢にも思わなかったが、家族ぐるみの付き合いを学生のころから続けている大事な友人であったの、奥さんと子供にも会えて楽しかった。翌朝早い新幹線で東京に戻ったが、奥方が作ってくれた朝ごはんの美味しかったことが忘れらない。どうもありがとう。
感謝といえば、この出張のためにわざわざ東京からきてくれた義母にも頭が上がらない。去年の12月以来、2月、4月とこれ隔月できてもらっていることになり、ちょっと来るといってもやっぱり片道12時間の飛行機は楽ではないはずである。義母は孫の顔が見られてうれしいはずだし、妻はお母さんと過ごせる良い機会だ、などと勝手な納得の仕方をしているが、申し訳ない。妻もよくがんばってくれた。本当に感謝。
さすがに出張後半になると連日の寝不足とプレッシャー(セミナーもそうだが、東京でクライアントを訪問するという行為は僕にとってはかなりプレッシャーがかかるものである)で、頭がくらくらしていた。土曜日の朝10時くらいまでゆっくり寝て、そのまま皇居の周りを走った。噂通り多くのジョガーと、観光客で込み合っていたが、心身ともにリフレッシュできて。皇居の美しさと、周囲のビジネス街との対比がきれいで、シドニーのハイドパークや、ニューヨークのセントラルパークのようで、東京にもこんなところがあるのかとうれしくなったが、一方で、結局ここのジョガーが集まってきてしまうのは、つまり都心部では他にはジョギングしても気持ちの良いところが少ないということだろうから、東京という街は残念である。
(皇居前広場から有楽町方向のショット)
(二重橋かな。ちなみにこの辺はジョギング禁止と看板が出ていた。結構おかしい)。
New Yorkに戻ってすぐに、国内出張が続き、来週も出張なので、その谷間の今週末は、なにも予定をいれずに家族とじっくり過ごしている。下の子の成長ぶり、身体能力の発達の早さはものすごく、(上の子が遅れていることもあり)歩くスピードや、ボール遊び等いろいろな遊びは二人ともあんまり変わらなくなってきている。これはうれしいことなのか悲しいことなのか、やっぱりうれしいことなんだろう、そんなことを考えならが、子供を公園で遊ばせて、自分は気持ちよい日差しの下でうとうとしてしまったり、でもこころも体をリラックスできている。