3週間の長い休みをとって日本に帰省している。その間東京の実家や、親の故郷である長野に来てゆっくりしている。
先週は長野県の北端の新潟との県境近くにある野尻湖にいった。野尻湖には「野尻湖国際村」という場所があり、湖畔の深い森の中に、木造の古いコテージ250軒もあり、その持ち主のほとんどが日本に住む外国人という変わったところである。両親がこの土地に山荘を持つようになり、僕が小学生の頃から親に連れられて毎年ここにくるようになった。野尻湖は日本では軽井沢の次に古い避暑地らしい。
「野尻湖国際村物語(荒川久治著)」によれば、国際村は、
「1920年ブルジョア気取りと上流社会の窮屈な社交的雰囲気が芽生え始めた”軽井沢”を、何とか逃れようと、数名の外国人宣教師が新しい避暑地を求めてこの地にやってきたことから始まる。そして、軽井沢には無い「野尻湖」という大きな湖を発見した彼等は、故郷のカナダやアメリカを想いおこしながら、「この地こそ、われわれが求めていた新しい避暑地だ」と決めたのである。」
とのことである。東京育ちの僕にとって(といっても国分寺であるが)、長野県大鹿村という先祖代々の本当の故郷があり、同級生の都会っ子たちよりはガキのころから田舎暮らしに慣れ親しんできたけれど、小学生の頃毎年ひと夏をここで過ごすというのは楽しい経験であった。昼は湖で泳ぎ、ヨットにのり、釣りをし、山ではカブトムシやせみを取り、ゴルフやテニスをしたりして、忙しくすごした。夜は、テレビなどないので、夕飯が終わると、風呂にも入らずすぐに眠った。これは当時は水道がある小屋が少なかったからであり、各キャビンには風呂がついていなかったからである。湖にザブンと飛び込み汗を流して、頭をジャブジャブ洗えば十分だった。もちろんシャンプーなど使わずに。各小屋に水道があったわけではないので、村に数箇所ある共同水道からその日に必要な水を運んだり、ホースを引っ張って自分の家のタンクに水をためるのは、僕たち子供の仕事だった。ちなみにテレビは今でもあえて置いていない家庭が多く、うちもそうしている。
この国際村というのは、ユニークなところで、別荘の所有者たちの自治会が運営している。決めれた場所以外は水道は引かず、新しい建物は建てられず、木造の別荘を修繕しながら維持していくルールがある。村内の道路は舗装されていないのは、自然を壊したくないのと、外部から人が自由に入ってくるのを防ぐという目的もあるらしい。これらすべては、質素な生活を維持しようという、国際村ができたころの精神を引き告ぐものである。
30年前の国際村は
こんな感じだった。
All About Japanにも記事があった。
小学生のころは一ヶ月以上をここで毎年すごした。中学・高校になると部活が忙しくなったり、夏休み中も東京の友人とつるむのが楽しくなったので来る期間は減ったが毎年きていた。大学生になる運転ができるようになると親のいない冬に毎年スキーにきていた。毎年夏になると同じような顔ぶれの家族がやってきて、夏の間だけ会える同い年くらいの友人たちがいた。小中学生のころは、また夏の間だけの野尻湖での友達に会えるのが楽しみで、夏休みが待ち遠しかったのを覚えている。
今回、当時毎日のように遊んでいた友達たちと約20年ぶりに再会した。久しぶりすぎて少し照れくさかったが、彼等彼女等は子供を連れて来ていて、合計10人くらいの子供たちが湖畔のプール(湖を桟橋とブイで囲ったもの)で遊ぶのを見ながら、昔話に花がさいた。ちょうどこの子供たちが当時の僕らのようだったのだろう。桟橋とブイは当時とまったく変わっていない。僕は従兄弟との付き合いがほとんどなかったので、僕にとっては毎年会う従兄弟のような関係だった。今回僕は野尻にきたのは5年ぶりで、その前も5年くらいあいたけど、彼等はずっと毎年きているという。プロポーズもここでしたと言っているやつもいた。今回は僕は娘を連れて行くことはできなかったけど、来年は子供を連れてまた会おうといって最後は分かれた。こうして親子何代もずっと国際村に来続けている家族は多く、新しく入ってくる人たちとのうまくミックスしながら、「質素な暮らし」という伝統が守られているらしい。
僕は野尻湖で水泳や飛び込みを習った。東京でスイミングスクールに通ってはいたが、コースロープを気にせずに自由に、どこまでもいつまでも泳げるのは楽しかった。桟橋を走ってそのまま飛び込むのが快感だった。「プールサイドは走るな」なんて言ううるさい監視員はいなかった。十分に深いので、飛び込んだあと底にぶつかる心配など必要なかった。背面飛び込みなんかもここで練習した。その後大学まで競技として水球を続けたが、泳ぐのを面白く感じたのは野尻湖のおかげで、僕のルーツはここだったんだなと改めて思った。国際村の子供たちが参加する年一回の水泳大会があるが、1985年の僕の平泳ぎの記録はまだ破られていなかった。
小学生時代の夏休みの自由研究は、「カブトムシと蝶について」、「ナウマン像」、「小林一茶」、そして「ヨットはなぜ風上に進むことができるのか」と毎年この土地に関係の深いものをやった(一応学年があがるにつれて難しいテーマを選んでいることに注目)。自分の子供も同じことをやってくれたらすばらしいなと思う。
「野尻湖国際村物語」よれば、
「今リゾートブームを迎えている日本の状況はどうだろうか、いったい誰が入るんだろうかとおもわれるような高価な物件に人気が集まり、金さえ払えばあとは気ままに利用できるサ。といった考え方が横行しているのではあるまいか。夏の二ヶ月間とはいえ、質素な木造のキャビンを改造することもなく、今日まで持続して来たというこの外国人たちは、今の日本の抱えている問題を七十年も前からクリアーしていたのである」。
野尻湖が楽しいのはまさにこれが理由なんだと思う。高速がつながったとは言え「幸いにも」東京からは遠く、美しい湖とそれを囲む山々(黒姫山、戸隠山、妙高高原、斑尾山)以外には、都会人を惹きつけるような洒落たお店やモール等の施設もなく、観光地としての魅力は低い。でもこの土地の美しさと緑の深さと空気の美味しさに曳かれて毎年やってくる人はいる。
新しく別荘の所有者になる(つまり国際村の自治会メンバーになる)には、まずひと夏別荘をレンタルして「お試し期間」経て、自治会メンバーとの面談をパスしなければならないなど、独特のスタイルで運営されている。そこには伝統の質素な生活スタイルでやっていける人かどうかを見極めるという意味があるようだ。