夏休みで日本に帰省している。その目的の一つに、親父の生まれ故郷である長野県大鹿村に行く事があった。今年の初めに祖母がなくなって以来、我が家の先祖代々が祖母まで数百年住んでいたという家は空家になっていた。
大鹿村というところは、多分行ったことの無い人には想像できないような田舎で、自分もあちこち日本を旅しているが、ここ以上の田舎にであったことはない。中央高速を降りてから、更に一時間半ほど山道を走って、ようやく着くようなところで、最近は「日本の美しい村100選」なんて言われているいるらしいが、要するに人の数より猿や鹿の方が多いところである。そこ父の故郷であり、小島家先祖代々の土地であり、僕の墓もそこにある。「この山からこっちが我が家の土地で、そっちの山はお隣さん」というようなところである。
(大鹿村の我が家の近所から見える風景)
(我が家の蔵と家)
東京で生まれた僕は、赤ん坊の時から小学生くらいまで毎年かなりの時間ををそこで過ごし、「俺の大事な跡取」と呪文のように祖父に言われながら、可愛がられた。田舎が嫌で東京に出てきた父はあまり里に帰ることをあまり楽しんでいるように見えなかったが、初孫で跡取の僕ができ、親孝行をしに毎年帰っていたんだと思う。僕が喜ぶからと、祖父は毎年、ものすごい数のカブトムシやクワガタムシを捕まえてくれた(多分100匹は超えていた)。飼育箱一杯のカブトムシやクワガタをもって帰ると東京の友達たちには驚かれた。
その祖父が僕が20歳の時に亡くなり、その後祖母が1人でずっと住んで、先祖代々の家を守っていた。僕の結婚式にさえも、家を何日も空けられないからと、来てくれなかった。その祖母が今年の初めに亡くなった。
予想もしなかったことだが、今は田舎暮らしをしたいという人が多く、その山奥の家に借り手が見つかった。借り手になってくれた人は、九州からの60歳を過ぎた夫婦で、信用できる人からの紹介だからだということで直接話すらせずに決めたらしい。すでに一月前からその家に住み、先祖代々散らかしっぱなしの家を片付け始めているという夫婦に会いにいった。
借り手夫婦は、オーストラリアとアメリカで30年以上商売をしていたという人で、古いけど作りはしっかりしているこの家に住むことができるということを本当に喜んでいるようだった。仕事をやめ、九州のマンションで張りのない暮らししていたが、大鹿村に来てからは、毎日が楽しく、毎朝の目覚めが本当に気持ちよく、一日があっという間に過ぎていくという。こんな立派な家を貸してもらえて、東京に住んでいる父や僕らがいつ来ても良いように、家も墓もきれいにしていく、こういう古い日本の家を残していくのが僕ら日本人としての義務だと思う、と言って、こっちが恐縮するくらい、感謝しているようだった。今の父にこの家をメンテナンスすることはできないので、本当はその義務を跡取である僕がまっとうするべきなので、かなり罪悪感は感じたが、しばらくはこの夫婦に任せることにしよう。そして自分が60くらいになったら、今度は僕らがこの家を直して、守っていくことにしよう。
面白いことに、家がある集落には24世帯あるが、そのうち6世帯はここ数年間で入ってきた村外の人だという。その中には20代の夫婦もいるらしい。近所の人に挨拶に行くと、「今度おめーのところにきた” 若い衆”は、なかなかいいやつだな」と言われた。60過ぎで若い衆と言われるくらい、村の平均年齢は高い。「小島の跡取」として子供の頃毎年連れられてきた記憶があるらしく、僕なんかまだ赤ん坊のような扱いである。
蔵には先祖代々のいろいろなものが残っているらしい。貴重なものがあれば大切に保存しておくと借り手の方は言ってくれた。昔からの農家の家系なので、古い農耕具がほとんど金目のものは多分無いだろう。珍しい掛け軸や、小銭や、刀なんかは出てくるかもしれない。着物や置物なんかは多分ぼろぼろになっているだろう。あとは両親が結婚してからの比較的近代のもの、つまり僕や妹たちの写真や子供の頃の本、賞状、成績表、メダル等々があった。
(これはなんだろう、蚕の糸をとる道具かなにかかな))
(ブリキのおもちゃ)
(黒電話、今でも使える)
(そろばん)