今朝LAからRed eye (夜行便)で帰ってきた。疲れて家に帰ってくると、もっと疲れている妻と娘がいた。希帆は僕がいないと夜中にだいぶ起きだすようで、妻もその相手を夜中中ずっとしていたらしい。
エコノミークラスのRed eyeは寝心地が悪く6時間のフライトでもちゃんと寝たのはせいぜい3時間くらいだけど、それでも妻よりは長く寝られたようである。幸いにも今のプロジェクトは順調に進んでいたので、今日は子供たちの相手をしながらで家で仕事をすることにした。先週末も事務所に出てきたしまあいいか。
お昼にテレビで、ヤンキースのホームでの開幕戦のオープニングセレモニーの中継をみた。メジャーリーグは先週から始まっているが、ホームでの試合は初。去年ワールドシリーズで優勝したヤンキースの選手たちにチャンピオンズリングが授与された。対戦相手のエンジェルスの一員としてNYに来ている松井にも。
ニュースで見た人も多いと思うけど、これがかなりの感動だった。
映像はこちら。
紹介記事はこちら。まだ見てない人は是非見てください。涙腺刺激されます。
長い場内アナウンス、スタンディングオベーション、チームメートからの抱擁、第一打席でまたスタンディングオベーション。New York Timesも
”Hideki came home”と紹介。今日の松井へのこの感動的なセレモニーは、ベーブ・ルースやルー・ゲッリック引退スピーチ等と並んで、Yankees Stadiumのgreat momentsとして称えた。僕らにとっては長島茂雄の引退スピーチみたいなものだろうから、NYTimesがそこまでいうのはやっぱりすごいことなんだろう。、”For the first time in 8 years, Yankees fan did not mind Matsui going 0-5” とも。
スポーツをやっている者にとって、記録とか、良いプレーとかよりも、自分のチームメートの認められ、称えられることが一番の喜びなのではないかと思う。それは多分勝利よりそのものよりも大きいかもしれない(もちろん、記録や勝利の結果そういったものがついてくるのであるだろうけど)。
オープニングセレモニーがあったから事務所こなかったんじゃないかと、同僚に後から言われた。いえいえたまたまです。
出張でアリゾナ州テンピというところに来ている。5年ぶりのアリゾナ。砂漠の真ん中にある街で、どこまでも続く平地と、そのはるか先に見える低い山々と、照らしつける太陽。この時期はまだ過ごしやすいが、5年前に来た時は夏で、暑くて暑くて5分も外を歩と汗がびっしょりになったのを思い出した。近くのフェニックスにあるメジャー球団・ダイヤモンドバックスの球場は、ドームの上を大きく開いた状態でも、エアコンをがんがん効かせている。暑すぎて選手もファンも耐えられないから。
空港でレンタカーのカウンターに長蛇の列ができており、何でかと聞いたら、メジャーリーグのスプリングトレーニングの真っ最中なので、野球関係者、マスコミ、ファン等々がたくさんこの地に来ているらしい。そういえば、オープン戦でエンジェルスの松井選手が2年ぶりレフトの守備についたという記事を読んだ気がする。
夜は東京から来ているクライアントと食事に行くことになった。もしかしたら日本人メジャーリーガーが会えるかなと思い、日本食レストラン調べてみたが、なかなかここというところがみつからなかった。スポーツ新聞には、松井選手は去年までヤンキースがキャンプをしていたフロリダよりも、アリゾナの方が日本食レストランの環境は良い、というような発言をしている記事が出てきた。松井選手に会えたら幸せだなと思いながら、レストランを探したが、結局仕事で夜遅くなり、近くのメキシカンで簡単にすませた。
そしたら、なんと翌朝(つまり今朝)、ホテルでゴジラに遭遇!!!。なんと同じホテルだった。朝の散歩から帰ってきたところようで、なんか大きな韓国人がいるなと思ってすれ違ったが、良く見ると松井選手だった。一瞬のことで、頭が真っ白になってしまい、とっさに何もできず、その後あわてて戻ったが、すでに部屋に入っていくところだった。さすがに部屋の前まで追いかけるのは気がひけた。
でも、こんなところで会えるなんて、感激だった。テンピにもフェニックスにもホテルはたくさんあるのに、この偶然に感謝。
以前のブログに書いたが、
(こちら参照) 昨年ワールドシリーズ後に、煮え切らないヤンキースと交渉は続けず、新しいチームに移った松井選手を僕は以前にも増して応援していて、新天地でも活躍してほしいと願っている。金銭的面や複数年等の契約上の駆け引きをまったくせず、一年契約・大幅減俸にもかかわらず、「求められているところに行く」と言って、そして守備もできるということも考えて、エンジェルスを選んだところがプロフェッショナルなところを尊敬している。そんな僕にとってのヒーローに会えたので、今日一日すがすがしい気持ちで仕事ができた。ああ、一言話だけでもしたかったなとも思うが、きっとまた機会があるような気がする。
いよいろメジャーリーグも開幕。楽しみである。
追伸:松井選手もすがすがしい気持ちだったのか、今日オープン戦初ホームランを打ったようである。Go Godzilla!
ちょっと前になるが、Wolfe Islandというカナダとアメリカの間にある島に行ってきた。New York市から車で7時間、NY州をずっと北に上っていく。大学時代からの親友Kayo&Davidが昨年秋からこの地に移り住んだので、ついに会いにいくことにした。片道400マイル(640キロ)。小さい車に子供二人をつれて7時間のドライブはきついので、金曜の夜5時間ほど走っては途中のシラキュースで一泊。
翌日はまた2時間ほどのドライブ。国境を陸路で超えるというのは、これまでにカナダに2回車できたことがあるのと、シンガポール・マレーシア間を歩いて渡ったのと、チリ・アルゼンチン間をバスで旅行した時になど、今まででも数回あるが、島国育ち日本人にとってはなんとも不思議な感覚のものである。高速の料金所みたいなところで、車に乗ったまま家族四人分のパスポートを渡し、カナダ側の入国審査官の質問に答える。
「Wolfe Islandに何しに行くんだ」
「友人に会いに行きます」
「その友人はナニジンだ?」
「日本人とイギリス人です」
「日本人がWolfe Islandで何をやっている?」
見たいな感じでどうでも良いことを聞かれるが、問題なく無事カナダ入国。
ついたらまず島で唯一のレストラン、その名も「Island Grill」で久々に再会を祝して乾杯。トロントからタルタニ家族もきていたので、大人6人、子供5人の再会、大集合になった。
島の人口は約1000人くらいで、なにもない、のどかなところ。島がKingstonという街に面しているため、島内で農業等をしている人以外は、Kingstoneに勤めているようである。農場が多く風力発電の風車がたくさんあったのが印象的だった。さすがカナダ。仕事で風力発電案件を時々やるが、これだけ近くで見るのは初めてであった。以外に静か。
島の名物バイソンの肉のハンバーガーやシチューをデービッドの手料理で頂き、おいしいビールやワインもいただき、島の有名な海岸まで一時間くらいハイキングをしたり、のんびりと二日間すごさせてもらった。二人の子供の生後二ヶ月のフランシス君も元気に育っており、かわいかった。1000坪の庭付きの二人のお家は築100年たっているものらしく、海辺(湖だが)にあるすばらしいところ。こういうところでこの先家族三人で新しい生活を作っていこうとしている二人の人生は絶対に楽しく、すばらしいものになると思う。日本からはちょっと遠いね。でもそれは海外生活を選んだ者の宿命だから割り切るしかないのかな。
Kayoのブログにもこの時の様子が書いてあります(その名もIsland Life。
こちら参照)。Kayo, David, 楽しい週末を本当にどうもありがとう。暖かくなったらまた遊びに行きます。
帰りもまた途中で一泊した。三日間で約1300キロ走りきった、ボロ愛車と、チャイルドシートでずっと我慢した子供たちと、道中ずっと子供をあやしていてくれた妻は、良くがんばった。どうもありがとう。
息子の誕生日当日は月曜日で、朝6時の飛行機でLAに出張に向かった。前日の日曜日に、いつも非常にお世話になっているアメリカ人の友人ミリーを招待し、子供二人合わせて合計5人簡単なお祝いをした。プレゼントをもらって喜ぶ息子。自分のもののように横取りする娘。
国内線とは言えNYからLAまで約6時間のフライトであり、3時間の時差があるため朝6時にNYを出ると、NY時間のお昼12時(6+6-3=9 つまりNY時間朝9時)に現地に着くことになり、LAでの午後一のミーティングには十分間にあう。3時間の時差というのは体にはきつく、腹時計と現地の食事時間がずれるので朝食やランチのタイミングは逃すし、現地時間の午後3時ごろにはおなかが鳴り出し恥ずかしいこともある。最悪なのは、今回のように朝に大陸横断した場合にディナーの予定が入ってしまうことである。今回も何も入れないでいたのであるが、LA事務所の知り合いと結局食事をすることになって。それもしかも夜の8時から。体の感覚では既に夜11時あり、早起きしたこともあり、食事開始時にすでに目がしょぼしょぼであったし、ひげも伸びてきていた。
しかし、今回の仕事で緊張していたせいか、またLAの同僚との会話も楽しかったこともあり、この僕が奇跡的にも眠らずに食事を終わらせることができた。ホテルに戻って少しメールをして、眠りについたのはLA時間の午前1時(NY時間午前4時)、つまり一日が始まってからほぼ24時間後であった。息子の記念すべき一歳の誕生日をこれだけ長く楽しめたのも良いことではないかと思うことにした。
ところで、LAでは今いろいろな日本食レストランが検査(捜索?)を受けているらしい。サンタモニカにある有名な寿司やが、アメリカには輸入が禁止されているクジラの寿司をこっそり出していたところを、環境保護団体のおとり捜査(?)に引っかかり摘発されたらしい。ルールを破る方はもちろん悪いし、日本の捕鯨に対する姿勢を決して擁護するつもりもないが、捕鯨バッシングもここまでくると、どうかなと思わされる。詳しくは
こちらの記事参照。この人の言っていることはわかりやすいと思う。
息子が一歳になった。ありがたいことに、無事に育っている。体重は12キロで一歳としては巨大である。運動神経がよく、一ヶ月ほど前に少しずつ歩き始めてからは、あっというまに歩くことを一気にマスターし、今では家中をすでに一日中歩き回っていて、椅子なんかにも自分で登る。相撲取りのような低い重心で、起用に立ったり座ったり、物を持ち上げたり、ひざを柔軟に使ってスクワットのような動きをしたり。力も強く、もうすぐ三歳になるお姉ちゃんのおもちゃをよく奪い取っている。希帆が12ヶ月のころは、お座りがようやくできたころで、いろいろなことに遅れていたがまだ自閉症ということがわからず、心配しながらも楽観していたころだった。希帆が歩き始めたが1歳半くらいだったから、櫂のペースは半年くらい早い。
櫂は、お姉さんの真似をすることでいろいろなことを覚えていくので、発声とか、おもちゃでの遊び方とか、呼びかけへの反応とかがやっぱりすごくよい。二人で仲良く遊んでいる時間がだんだん増えてきた(その後のおもちゃの散乱状態はすごいものだが)。希帆が櫂にお菓子などをあげていることもある。車の後部座席では、少し離れてチャイルドシートの乗った二人が手をつないでいたりする。微笑ましい。
二人めが生まれてから、毎日が、朝起きてから夜寝かしつけるまでがめまぐるしく、ほんとあっというまに過ぎるようになったが、それもすでに一年たったのかと思うとうそのようである。朝娘に朝食を食べさせ、着替えさせ、朝8時からのセラピーに間に合わせるよう準備をして、そこからようやく自分の準備をしてから仕事に出かけるという生活もはや一年になるということか。夜帰ってくると、一日の疲れで言うことを聞かなくなってきている子供二人に食事と入浴をさせながら格闘している妻と、それに抵抗して逃げ回っている子供たちで、家の中の雰囲気が殺気立っていることがよくあるが、それももう一年たったんだ。
妻の大変な努力と、いつも僕らを心配して手伝いにきてくれる近所の大事な友人たちと、そしてすばらしいセラピーの先生たちのおかげで、こうやって毎日毎日を乗り越えられてきている。本当に感謝である。
夜友人のMを招待して、簡単なお祝いをした。Mさんは以前同じアパートに住んでいたアメリカ人でいつも子供たちをかわいがってくれていて、世話も浴してくれるし、妻の相談相手にもなってくれて本当に感謝している。
娘の一歳の誕生日の時の気持ちは以前ブログに書いたが
(こちら参照)、あの時は何もかもが初めてだったし、今回二人めの一歳は、その時とはまた違った感慨深さがある。